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テサロニケの信徒への手紙一 2章5~12

「母であり父であり幼子であり」

終末主日

 本日は教会暦で「終末主日」です。教会暦はアドベント、つまり救い主の降誕を待つ待降節から1年が始まります。そして、終末主日をもって終わります。終末主日は、世の終わりを覚える日です。そしてそれは同時に、世の終わりに再び世に来てくださるキリストの再臨を待ち望む日でもあります。

 すべてのものには終わりがあります。宇宙にも始まりがあり、終わりがあります。私たちの人生もそうです。私自身、伝道者として歩み始めたのが、ついこの間のように思われるのですが、もう30年も経っていることに我ながら驚かざるを得ません。

 時間は終わりに向かっています。そして終わりの次は、永遠の暗黒に見えます。しかし、それは主イエス・キリストによって新しい始まり、光の世界へと変わる。終わりは終わりであって終わりではなく、神の国への入り口である。それがキリストの再臨を待望するということです。

パウロたちの伝道

 さて、引き続きパウロとシルワノ(シラス)とテモテが、新しいテサロニケの教会に充てて書いた手紙を学んでいます。何度も申し上げていますように、パウロたちはテサロニケの町には3週間から長くて数ヶ月しか滞在しなかったと思われます。それは迫害が起こったからです。それでテサロニケでは短期間の伝道で去り、次はベレアの町へ向かったのでした。そのようにごく短い滞在であり伝道でしたが、多くの人々がイエス・キリストを信じるようになりました。

 イエス・キリストのことなど何も知らない人々に、3週間から数ヶ月で何を伝えることができるだろうかと考えますと、このようにテサロニケに教会ができるまでになったということは驚かざるをえません。たとえば、何も知らない人に、1~2か月でイエス・キリストを信じることができるようにしろと言われたら、どうでしょうか?「そんなこと無理に決まっている」と言わざるを得ないでしょう。しかしそういうことが起こっているのです。それはまさにそこに神の奇跡、キリストの奇跡が現れていると言わなくてはなりません。

 そしてきょうは、パウロたちはテサロニケでの伝道を振り返って、「何を」伝えたかではなく、「どのようにして」伝えたかという話しをしています。

 5節を読みますと、パウロたちは、へつらわなかったと述べています。分かりやすく言えば、「相手にお世辞を言って信じさせたのではない」ということでしょう。お世辞やおべっかを言わなかったと。また、「かすめ取ったりしませんでした」と述べています。お金を目的に伝道したのではないということです。なぜこんなことを書くのか。おそらく、パウロたちキリストの伝道者のことを悪く言う人たちがいたのであると思われます。例えばパウロたちを迫害したユダヤ教徒たちです。その人たちが、パウロたちのことを「お金目的でやっている」というように中傷していたものと思われます。実際、お金目的の宗教家というものは、当時もいろいろあったのでしょう。

 それでパウロは、そうではないということをここで語っている。そして「そのことについては神が証ししてくださいます」と述べています。それが本当であることは神が証ししてくださる。神は人の心の中をご存知です。パウロがうそ偽りを言っていないことは、その神さまが分かっていてくださる。これはキリスト信徒の拠り所です。

 私も誤解され、中傷されたことがありました。いったい誰がそのようなウソを言い広めたのかと、怒りでいっぱいになったこともありました。しかしそのような時、神さまは真実をご存知であり、真実を明かししてくださるということを信じ、平安を得たのでした。後は神さまにお任せいたしました。私たちは、真実をご存知である主にお任せすることができるのです。

 また、パウロは、誹謗中傷の濡れ衣を晴らすためだけにこれらのことを述べているのではありません。すでにテサロニケのこの若い教会は、周辺の町や村にイエス・キリストのことを宣べ伝えるにまで成長していっている。だから、あなたがたも私たちがしてきたようにしなさいという教育的な意味も含めて語っていると言えます。

 6節では、人間の誉れを求めなかったと述べています。称賛されたり、偉くなるためにキリストを宣べ伝えたのではないということです。

 ではパウロたちは、どういう目的のためにイエス・キリストを宣べ伝えたのでしょうか。その答えは12節を読むと分かります。「御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。」‥‥神が人々を、神の国に招いておられる、神の国の栄光にあずからせようと、招いておられる。その神の招きに人々が応えるために、パウロたちは働いてきたのです。キリストを宣べ伝えたのです。それが目的である。つまり、自分たちのしたいことが目的なのではなく、神さまの目的に従っているだけであるということです。

幼子のように、母のように、父のように

 きょうの聖書個所の中に、幼子という言葉、そして母親という言葉、そして父親という言葉が出てきます。たとえば、自分ひとりで子どもを育てなければならない人が、母親と父親の両方の役割をしなければならないという場合があるかもしれません。そうするとここでパウロたちが言っているのは、ひとりで3役を務めるということでしょうか? そもそも、母親のようになるとか父親のようになるということは理解できますが、幼子のようになる必要があるのだろうか、と疑問が湧きます。

 しかしここでは、一人三役ということではなく、ある点においては幼子、ある点において母のごとく、ある点においては父のようにということです。

 7節には「あなたがたの間で幼子のようになった」と書かれています。これは幼子のようにわがままを言ったというのではありません。キリストから全権をゆだねられた使徒としての権威を主張することもできたのだけれども、あなたがたの中で威張ることなく、弱い、小さな者となっていたということです。馬鹿にされようが、軽んじられようが、仕えてきた。そういうことを言っているのだと思います。

 7~8節では、「ちょうど母親がその子を大事に育てるように」と述べています。この「母親」という言葉は「乳母」と訳すことができる言葉が使われています。この場合の乳母は、赤ちゃんに母乳を与える母親も含んでいます。つまり、母親が赤ちゃんに母乳を与えて大事に育てるように、という意味です。そういう思いで接してきたと。

 さらに、11~12節では、「父親がその子どもに対するように」と述べています。当時の父親は、子供たちを励まし、慰め、教育して導いたようです。そのように、あなたがたに対してまさに父親のようにして指導し、励ましと慰めを与えてきたと語っています。

 そして9節に戻りますが、パウロたちは夜も昼も働きながらキリストのことを宣べ伝えたと語っています。パウロはテント職人でした。シルワノとテモテは何をして働いたのかは分かりませんが、とにかく自分自身で働いて生活の糧を得てきたと語っています。本来であれば、伝道者の生活は教会が支えるのが聖書に書かれていることです。

 例えば、(Ⅰコリント 9:13~14)「あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました」と記されています。旧約聖書に書かれていることは、人々は自分の収穫・収入の十分の一を神さまに献げました。具体的には神殿に持ってきました。そしてその神さまに献げたものの中から、神殿に仕える祭司やレビ人を養いました。

 ですから、パウロたち伝道者も神に仕える者ですから、本来は信徒の献金によって支えられるのが正しい。しかしパウロたちは、まずキリストを宣べ伝えることを第一とした。昼も夜も働いて、神の福音をあなたがたに宣べ伝えた。そうしてテサロニケで、数週間から数ヶ月という短い間でしたが、力を尽くして、幼子のように小さい者となり、また母親のように生まれたてのクリスチャンの信仰を育て、父親のように励まし慰め教育してきた。まずはそのことに全力を尽くしたということです。

献身する

 パウロたちがこのようにして自分のことを語るのは、自慢をしているのでしょうか?

 そうではありません。テサロニケの信徒たちの中からも、そのような伝道者が生まれるようにとの願いがこもっているのです。我が身を献げてキリストの福音を宣べ伝える者が。同じようにして主のために働く者が出てくるようにと。神がキリストのもとに人々招いておられるのだから、その神の働きに仕える者はこのようにしなさいと。

 19世紀の話しですが、インドの貧しい子供たちの教育のために働いたスコットランド人のアレキサンダー・ダフという宣教師がいました。インドに渡った宣教師アレキサンダー・ダフ先生は、死が間近に迫ったときにスコットランドに帰り、教会の総会で自分の代わりにインドに行く宣教師を募りました。しかし招きにこたえる人がいません。彼はアピールの最中、心臓の発作で気を失い、講壇から運び降ろされました。医師が診察していると、彼はすぐに目を開け、こう叫んだのです。「私はまだアピールを終えていません。もう一度講壇に立たせてください」。医師の反対にもかかわらず、彼は再び講壇に立ち、アピールを続けました。「ビクトリア女王がインドに行く志願兵を募ると、何百人もの若い人たちが応じます。しかし王の王であるイエスが志願者を募られるときには、だれも応じようとしません」。ここで沈黙がありました。彼はことばを続けました。「スコットランドの父母は、インドのためにささげる息子を持っていないのでしょうか」。なおも沈黙が続きました。「よろしい、それなら私がもう一度インドに帰りましょう。私は歳を取っているけれど、ガンジス川の岸辺で死ぬことくらいはできます。こうして私は、少なくとも一人のスコットランド人がインドの人々を愛し、そのために命を捨てたことを彼らに知らしめることができるのです」

 すると間髪を入れず、あちこちから青年が立ち上がり、「私が行きます!私が行きます!」と叫びました。この青年たちは、このアレキサンダー先生が安息に入った後インドに渡り、彼の使命を受け継いで、主イエスのために働いたということです。(『幸いな人』1999年7月号より)

 もちろん、伝道者となることばかりが献身ではありません。信徒として、主の御用のために仕える者となる。幼子のように自分を小さくし、母親のようにやさしく育て、父親が子どもを励まし慰め教え導くように。あらためて、主に仕えるということの尊さを教えられます。

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